こころと体の健康の話
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Author:まさゆき
富士山のふもとで「あおば鍼灸院」を開業 趣味は読書と瞑想、精神世界の探求 子供3人と妻、母、犬とでワイワイ暮らしています

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静寂な心にもどる
呼吸に意識を向けてみよう

大いなる唯一の命が、今この瞬間もわたしを生かしている

そこにくつろぎ、それと共にいよう

地球

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心の静寂
心の静寂は目に見える世界で、本当の自分を生きるためのナビゲーション

魂の目的地まで、私を導いてくれる

どこからでもリルート可能、決してわたしから離れない
あらゆる場所、あらゆる状況で最適なルートを指し示す

だからわたしは、ルートの全体図を知ろうとする必要はなく
全面的に信頼し、くつろいで
静寂な心に耳を傾ければよい


湖

プライド
人の言動に傷つくことってありますよね

心がグサッとして「うぅー」って呻きたくなるようなこと・・・

ところが、それを言った相手は、ほとんどの場合、
こちらを傷つけるつもりなんかなかったりします。

何気なく言った一言だったり、あるいは
何か不安なことがあって、自分を守るためにとっさに出た一言だったり・・・

にもかかわらず、言われたこちらは、心に痛みを感じる。

これって原因は、自分の心にあるのですね。
プライドが傷ついているのです。

プライドというのは、心についた傷のようなものです。
そこをチョッと刺激されると、痛みが走るから、守るためにビクビクしてる。

どこに傷があるのか他人からは見えないから、悪気がなくても
そこに触れてしまうことがある

この痛みから解放されるには、プライドという傷を自分で癒すしかないのです

プライドというのは、「自分は・・・である、だからネウチがある」
あるいは、「自分は・・・になりたい、そうでなければネウチがない」
という思いです

この、「・・・」に入る言葉は、人によって異なります

例えば、「親切」とか「お金持ち」とか「強い人間」とか「イケメン」とか
「いい母親」とか「尊敬されている先生」とか、いろいろなものが入ります

そして、人が自分をそのように見てくれている、と感じると満足し、
そう見てくれていない、と思うと腹が立ったり悲しくなったりします。

でも、相手が自分をどうみているかなんて、本当のところはわからないし

仮に、相手がそう見てくれたとしても、自分で自分をそう見られなければ
心の中は、いつも不安でいっぱいです

この不安を解消し、「ネウチがある自分」になれるように
多くの人は一生懸命努力します

努力が報われないことが続くと、「がんばっても無駄だ」という思いが
強くなり、人生は空しいものに感じられるし

努力が報われたとしても、「次はうまくいくだろうか?」という不安や
さらに優れている人を見て、「もっと頑張らなければ」という緊張を抱えたり

努力したのに認めてくれない人に対して、憤りを覚えたりして

プライドという傷を抱えている限り、いつまでたっても
安心することはできないのです

このプライドという傷をいやすには、
自分自身のネウチを認めるためにつけている条件を、無くすことです


「自分は・・・である、だからネウチがある」ではなく
「・・・」であろうが、なかろうが、無条件に、自分自身を認めることです

そんなことをしたら、向上心のない人間になってしまう、と
心配する人もいるかもしれません

でも、大丈夫です

不安を抱えながら努力している時よりも
自分を認めているという、安心感の中で行動するときのほうが
ずっと楽しいし、成果も上がりやすいのです




無条件に自分を認める
不安を手放すためには、見つめることです。

見つめてみれば、恐れていることが起きたとしても、
何とかなることがわかります。
不安は幻だったことが分かります

でも、幻だとわかっても、
怖いという気持ちはまだあります

実際には大丈夫なのに、それでも怖い

では、私たちは、一体何が怖いのでしょうか?

それは、恐れていることが起こった時に
味わうであろう「惨めな気持ち」ではないでしょうか?

周りの人になんて言われるのだろうか・・
うまくやっている人だっているのに情けない・・
きっと家族もがっかりするだろうな・・

そんなふうに考えて、惨めな気持ちになるのではないかと
恐れているのではないでしょうか?

でも、これも幻です
惨めな気持ちというのは、自分で「自分はダメな人間だ」と
思わなければ生じないからです

どんなことがあっても、あなたがあなたを否定しなければ
惨めな気持なんかには、決してならないからです


では、不安をさらに手放すために、
自分自身にこう宣言したらどうでしょうか

「どんなことがあっても、私は私を認める」
「どんなことがあっても、私は私を好きでいる」

どんなことがあっても・・・ つまり無条件に、ということです

人と自分を比較して、優れていたら自分を認めよう、ではなく

何かの基準を自分で作って、達成したら自分を認めよう、でもない

一切の条件を付けずに、いつでも自分を認めてあげる、
そして、自分を好きでいてあげるのです

どんなことがあっても、あなたがあなたを認めていたら
どんなことがあっても、あなたがあなたを好きでいてあげたら、
惨めな気持なんかにはなりません

決して惨めな気持ちにならないのならば
もう、怖くはないのではないでしょうか?

読んでいただいてありがとうございました



「最悪なこと」が起きても大丈夫
不安をしっかり見つめてみれば、そのおおもとは一つか二つで
しかも、そうなる可能性よりも、ならない可能性のほうが高い

不安の多くは自分が作り出している幻です


でも、そうだとしても、やはり不安は残ります
どうしたらいいでしょうか?

その不安を、さらに見つめてみたらいいと思います

不安に思っていることが、もし起きてしまったらどうなるか?
「最悪の事態」と考えることが、もし起きてしまったらどうなるのか・・・

しっかり見つめてみるならば、「最悪の事態」がもし起きてしまっても
なんとかなることに気づくのではないでしょうか?

最悪のことが起きたとしても、実際にはなんとかなる。


僕にも、「治療院がつぶれてしまったらどうしよう」
という不安があります。

考えると怖いから、なるべく考えないようにしていることです
そんなこと考えて、「引き寄せの法則」が働いちゃっても困るし・・

でも、怖がらずしっかり見つめてみると、もしそうなっても
なんとかなることが分かります

共働きだし、子供には奨学金をもらってもいいし
いざとなれば生活保護制度もあるし・・・
日本に住んでいる限りなんとかなります

最悪だ、と思うことが起きても、なんとかなるのならば
それを受け入れてしまったらいいのではないでしょうか

つまり、最悪の事態すら「想定内」の事としてしまうのです

そうすれば、あとは「それ以上のこと」しか起こらない
そう考えれば、あまり怖くないのではないでしょうか?

この、「最悪の場合すら想定内にしてしまう」は強力なツールです。

しっかり見つめれば、もし死んでしまったとしても、
大丈夫なことに気づくかもしれません

これは、フェイスブックで友達の今井孝さんから聞いた話ですが

ある有名な経営コンサルタントは、もし自分が死んでしまったら
そして、もし地獄に落ちてしまったならば
地獄を住みやすい所に変えようと決心しているそうです

地獄を住みやすい所に変える・・・・、すごい決心ですね

日本を住みやすい所にするのだって一生かかる大仕事なのに
地獄を住みやすくする仕事は、1000年も2000年も楽しめる
壮大な仕事かもしれませんね (^.^)

まぁ、もっとも、地獄なんてものはありませんけれどね

今日も読んでいただいてありがとうございます

明日は、東京の師匠のところで勉強会
明後日は田んぼの仕事
数日中にまた続きを書きますね

みなさんよい連休を!







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